FRUiTS編集長が語る、原宿の20年 | read | i-D
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『FRUiTS』の編集長青木正一のインタビューより。
FRUiTS編集長が語る、原宿の20年 | read | i-D
東京では、銀座、渋谷、青山、中目黒、新宿、原宿、それぞれの街でファッションが違う。
若者が自由なファッションを楽しんだり、作り出したりする街は原宿だけだ。都市にはクリエイションを発生させるスポットと消費するスポットがあり、経絡のように繋がっている。それぞれの街の役割は簡単には変化しない。
原宿はファッションのクリエイションが湧き出る小さな泉である。泉から湧き出たクリエイションは、周りに拡がって、世界にまで影響を与える。
もともと、オリジナルのファッションがストリートから生まれるということ自体が、世界でも珍しい現象だ。ロンドンのパンクファッション、アメリカのヒッピホップファッション、スケーターファッション、それくらいしか思い浮かばない。
最近よく聞くのが、「最近オシャレな子が減った」「原宿は大丈夫だろうか?」「人は多いが、オシャレな子がいない。普通の街になってしまいそう」という会話だ。挨拶代わりになっている。その街のファッションのレベルを心配する、そんな街は世界でも珍しい。
ホコ天の中止はボディブローのように効いている。消費だけの街なら移動のための道でいいが、小さなファッションのクリエイションの芽を育てるには、熟成させる場が必要だ。車の通らない広場的な存在があって、のんびり散策できたり、仲間と座って語らえる場所があったから、原宿ファッションが生まれたのだ。
大人としてできることは、環境を整えることだ。いろいろやるべきことはあると思うが、まずは熟成の場としてホコ天の復活が必要だと考える。