高齢者が描くグラフィティ
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ポルトガルで行われている老人のためのグラフィティ・ワークショップ「LATA65」。レクチャーを受けて実際に街の壁へとグラフィティを描く。
以前ポルトガルを訪れた際に街なかのグラフィティの多さとクオリティに驚いた。ラテンの血がそうさせるのか、レベルの高いグラフィティは街の人々も気にせず放っているかのようだった。カメラを向けていると、地元のおばあちゃんが話しかけてきた。言葉がわからなかったが、落書きの多さに呆れているかのようだった。
ただこのワークショップの画像を見てしまうと、あのおばあちゃんの言葉は呆れではなく、肯定的な意味だったのかと感じてしまう。
いずれにせよ、”若者”の破壊行為の代表例となっているグラフィティのイメージが見事なまでに反転してしまう。もちろん許可は得ているリーガルウォールだろう。それでも、日本では小学生に壁画を描かせて、とてもレベルの低い壁画が出来上がって残念な景観になっている場所を多く見受ける。思い出作りという名の下なのか、子供や老人という免罪符と、許可を得た”主体”さえあれば街の景色はどう塗りかえても良いという考え方は、一歩引いてみれば大人たちがイメージするグラフィティとたいして変わりはないだろう。
グラフィティにも絵画並みのテクニックがあり、このワークショップではそれらをちゃんと教えることでかなりのレベルに達しているように見受けられる。そしてなにより、屋外の壁面にはグラフィティのスタイルがよく似合う。公共の落書きの問題が、描く”主体”の問題なのであれば、正統なグラフィティのテクニックを用いたこのような試みはとても評価すべきである。