DIY公共空間の危機?

On 2013/10/17 by Hidenori Kasagi

【この記事は3年以上前のものです。情報が古い場合があります。】

立て続けに悲しいニュースが入ってきた。
【3000人の署名より1人の苦情】パークが一つ無くなります。
都立武蔵野公園の自転車コースを撤去しないで下さい!

前者は山梨のスケボーパーク、後者は東京のBMXコース。いずれも愛好家たちが、公共の場所に行政などと折衝しながら築いたDIYなスペースである。このようなストリートスポーツ広場の多くは自治的な場所が実は多い。

今回の撤去要請の理由は”苦情”。

武蔵野公園の場合は下記のような苦情だったようだ。
「公園の原っぱの自然を壊している」
「公園を一部の人が占拠している」
「子どもがケガをしたらどうするのか 危険だ」

武蔵野公園は筆者の近所でこのコースの存在も知っていた。雨の日の次にはかならずコースをメンテナンスするBMXerの姿があった。たしかに草原の中にぽつんと土の山がボコボコとあるのだが、もともとゴルフコースだった場所で「自然破壊」とは言いがかりだ。さらに少し離れた場所にはテニスコートやバーベキュー施設。そこの利用者たちは場所を占拠していないと言えるのだろうか。

例えば公立の美術館への苦情には「わかりにくい現代美術は展示するな!だれでも分かりやすい画を飾れ。税金の無駄!」といったたぐいのものがあるという。どうりで展覧会が印象派と市民公募展ばかりになるはずだ。公共の美術館がやるべき美術の啓蒙もこれではできない。「わからないもの」は排除する日本的空気だろうか。

市民のなかにテニスをする人口の割合はどれくらいだろう?テニスは良くて、現代美術やストリートスポーツはわからないために公共空間から排除されるのだろうか?たとえばテニスコートでの捻挫はよくあることだろう。一方でストリートスポーツの広場で怪我など出ようものなら、すぐさま存続の危機に直結してしまう。このような偏見をうまく描いたCMがある。このブログでも以前に取り上げた1997年のNIKEのCM。詳しい内容はこの動画とエントリーを見ていただきたい。

NIKE SkateBording – Tennis編(CM)

日本固有の問題かと思いきや、海外でもストリートスポーツには偏見がともなうのだ。とはいえ20年近い前のCMだ。たしかに初期のストリートスポーツはクレイジーな奴が無礼に街なかでやるスポーツだった。未だにそうだし、そういうところが魅力でもあるわけだが。2000年代からそのようなストリートスポーツの表象が徐々に洗練されてきた。スケボー雑誌の写真の先鋭化や、BMXのフラットランドがフィギュアスケートのように洗練されてきた時期だ。それらは技の高度化や競技者自体の成熟化、カメラマンやファッションも特化したことにより実現された洗練である。2012年のロンドンオリンピックで種目となったBMXのコースは、ランドスケープデザインとしても非常に洗練されたデザインであったことは記憶にあたらしい。たとえばサッカーの起源が街中でボールを奪い合うモッブゲームだったように、あらゆるスポーツというのは粗野なものが洗練された結果なのだ。

ただしそのスポーツジャンルが持っているイメージだけではこの問題は語れないようでもある。どうもこの公園は平成23年度から指定管理者が東京都公園協会から民間に変更されたのだ。
musashinoparks.com/other/manager.html
www.tokyo-park.or.jp/announcement/056/
指定管理者制度の目的を上記から引用すると、

指定管理者制度とは、公園の管理について民間の事業者等のノウハウを活用して、利用者の多様なニーズに応え、質の高いサービスの提供を図り、効果的・効率的な管理運営を目指すものです。

となる。

推測にすぎないが、この管理者の交代は大きく関係がありそうだ。ではなんのための指定管理者制度なのだろうか?
民間の企業にとっては、今回のBMXコースのようなグレーゾーンは重荷になるにはちがいない。現在の民間企業とその社員が置かれているコンプライアンスの重圧はすさまじい。誰も責任を取れない、取りたくない文化?と「空気」に敏感な日本人が一番陥りやすい状況だろう。指定管理者が下請けに成り下がり、問題を起こさないことだけに終始すれば、ますます公共空間の自由度は下がる。すべてが商業施設と同じ価値観で管理される恐れがある。

海外では道路という公共空間での管理者と市民の粋な関係を示す事例がある。
自分たちで街をDIY!一晩でシアトルの行政を動かした自転車好きによるゲリラアクションとは? | greenz.jp グリーンズ
自転車好きの集団がゲリラ的に路側に自転車レーンのポールを建てたところ、それに対して管理者がそれを認め、さらにはもっと良い高さなどを提案、設置してしまったのだ。
ユーザーの「声」を通り越して「行動」が公共空間に根付いた瞬間だ。小さな社会の規則や法律だけでなく、本当に社会にとって正しいことを行動し、それを認められる勇気を持つべきではないだろうか。

最後に武蔵野公園の近くにも建築作品がある荒川修作のエピソードを引用したい。

養老天命反転地オープンの日、地元のおばあさんが足を折った。メディアは「荒川修作はまた下らんものを作った!」と一斉に非難した。荒川が見舞いに行くとおばあさんは「いいんですよ、あそこにいたら童心に返っちゃって・・・飛び石から飛べる気がしたの、和服を着てることも忘れて」と笑った。

引用元:荒川修作、天命反転住宅 tweetひとまとめ|saihate Blog

なんか養老天命反転地がBMXコースに見えて来てしまった。。
養老天命反転地には「分かりやすさ」や「安全」は一旦保留されている。ゆえにこの場所は人を惹き付けてやまない。

使用者はまだまだ悪いイメージを拭い去る努力が必要なのかもしれない。また現状置かれている”そのシステム”を憎んで”人”を憎まずの姿勢で、さらに対話しながら、この魅力的な場所を存続させてほしい。
もう一度リンクを貼っておきます。このような場所が残って欲しいと、少しでも感じたら署名もしてみてください。
都立武蔵野公園の自転車コースを撤去しないで下さい!


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